news

事務所開設10周年を迎えました

井上貴詞建築設計事務所をはじめてから、丸10年が経ちました。
山形市緑町で事務所をスタートした当時のブログを見返すと、恥ずかしながら独立
したての当時33歳だった自分の初心を、鮮明に思い出します。

井上貴詞建築設計事務所、はじめました。 | 井上貴詞建築設計事務所 (takashiinoue.com)

あれから早10年、おかげさまで多くの建て主の皆さんとの出会いに恵まれ、住宅だけ
でなく、アトリエ、事務所、カフェ、旅館・ホテル、店舗、図書館・公民館など、
実に多くの設計に携わることができ、様々な人の居場所づくりに繋げることができました。

私たちの事務所を信じて託していただいた建て主の皆様、同じ設計を志しそれぞれの
地域で課題に取り組みながら切磋琢磨している同業の設計仲間の皆様、そしていつも
設計者の無理難題に耳を傾け一緒に良いものづくりを併走していただける施工者の
皆様、そうした地域のすべての皆様に感謝してもし尽くせないほど、この10年は
多くの人たちに支えられてここまで来ることができました。

法人化してから5年目に入り、引き続き取り組んでいる最中の仕事も多いですが、
次の10年は初心は忘れず、気持ちは新たに、地域の中でももっと気軽に頼られる存在に
なれるよう、スタッフ一人一人の力を高めながら、日々精進していきます。

そして、人と人の良いご縁がさらにつながり、地域に一つでも多くの多様な居場所を
生みだしていけるよう力を尽くしていきたいです。
今後とも、引き続きよろしくお願い致します。

 

 

[ 東北|山形|一級建築士事務所|井上貴詞建築設計事務所 ]

水鏡

週末に用向きがあり、今春完成した「桜神の家」に行ってきました。
隣の田んぼには一面の水が張られ、稲が植えられていました。
建物も土地によく馴染んでいるように見えます。
少しずつ庭に植栽が入ってくると、さらに良くなりそうです。

午後には、割と近くに位置する「譲川の家」の外構工事の打合せに伺いました。
こちらも、敷地裏の水田がみずみずしく空の青を反射して輝いていました。

私の生まれ育った土地でもある滝山地区は、それこそ子供の頃は瀧山の麓の土地の
傾斜を利用した棚田が広がる場所でしたが、芸工大周りの土地区画整理事業もあって
宅地化が進んだことで、こうした棚田も貴重なものになってきました。

 

 

[ 東北|山形|一級建築士事務所|井上貴詞建築設計事務所 ]

雁戸のあゐ色をしばし恋しむ

昨年はおかげさまで竣工案件が多かったため、竣工写真の撮影がまったく追いついて
いない状況です、、少しずつ着実に撮影していきたいと思います。

昨年9月にリニューアルオープンした山形市立図書館中央分館と中央公民館の一部改装
工事について、このほど撮影に入らせていただきました。

5階の図書館フロアは、ブックラウンジから見える雁戸山の夕景がほどよく藍色に
染まっていて、落ち着いた雰囲気を醸していました。齋藤茂吉の歌にも詠まれた
雁戸の藍色を室内に引き込むように、濃藍色のカーペットを床に敷いています。

4階の学習スペースは、夕方になるにつれ中高生でほぼ満席状態となっていて、
催し物の準備もあってか公民館に集う様々な高校の生徒たちでもだいぶ賑やかで、
リニューアルの効果をハード・ソフト両面で感じます。

 

 

[ 東北|山形|一級建築士事務所|井上貴詞建築設計事務所 ]

レビュー

非常勤でお世話になっている山形大学建築デザイン学科の4年生の設計課題、
中間講評会に参加してきました。

学生それぞれ、模型とパネルで自らの提案をうまく表現して、プレゼンを
行なってくれました。

ここまで一旦形になると、また様々な改善すべきポイントが見えてきます。
それを元にまたブラッシュアップしていきます。

これらはほんの一部ですが、どれも伸びしろのある力作ばかりです。
最終講評会に向けて、また各自の制作を頑張ってもらいたいです。

 

 

[ 東北|山形|一級建築士事務所|井上貴詞建築設計事務所 ]

grassland

5月らしい清らかな快晴。
まだ暑くなく(むしろ風は肌寒いくらい)、虫も少ないので、外に居るのも心地よい
山形でも貴重なひとときです。
(夏は外に居るのが厳しいほど、猛暑となります)

 

 

[ 東北|山形|一級建築士事務所|井上貴詞建築設計事務所 ]

WINE & DINE

この春完成した十一屋前の御殿堰沿いを活用したイベントが開かれるということで、
ゴールデンウィーク最終日に山形市七日町に行ってきました。

イベントは山形まちづくり株式会社が主催する「WINE &DINE in NANOKAMACHI」。
ワイン&ダインinなのかまち|七日町商店街|山形市 (nanokamachi.com)

パ・マルやラミ・デュ・ヴァン・エフ、OHMAなど、街なか屈指の実力店の料理や
ワインソムリエが選ぶワインなどが気軽に野外で味わえる貴重な機会です。

十一屋本店の軒下に、「山形ヤタイ」を使って各店がブースをつくり、御殿堰沿いに
思い思いに腰を下ろしたり、十一屋の西側広場が野外のイートインスペースになったり、
御殿堰のせせらぎの音を聴きながら心地よい空間が広がっていました。

同じような企画が継続的に開催されると良いなと思います。
これからの季節、堰沿いの親水空間がもっと居心地良くなりそうです。

 

 

[ 東北|山形|一級建築士事務所|井上貴詞建築設計事務所 ]

桜桃林の宴

昨年竣工した住宅の建て主さんからお誘いを受け、新緑を愛でながら美味しい料理を
ご馳走になってきました。近くの桜堤や隣の桜桃林の花の時期はあっという間に過ぎ、
春から夏に一気に進んでいきそうです。

設計を生業にしていて良かったと思う瞬間は様々ありますが、こうして竣工後に設計した
住宅に呼んでもらって一緒に食事をいただくことが、自分にとっては何より嬉しい瞬間です。
(だいぶ前ですが、竣工写真撮影で訪れた住宅で、娘さんたちと一緒に夕飯のカレーを
いただいたことも良い思い出です)

午後の早い時間からお邪魔して、外に出るとすっかり日も暮れていました。
貴重な休日にお招きいただき、ありがとうございました。

 

 

[ 東北|山形|一級建築士事務所|井上貴詞建築設計事務所 ]

晴る

この冬は、思った以上に雪が少なかったものの、3月に何度かそれを取り戻そうとするかの
ような雪が降ったり寒い日がつづいたりして、まだ春は先かなと思っていましたが、
ふと見上げると満開の櫻が咲いているではありませんか。気づけば、もうとっくに春です。

地中でうごめいていたものが、一気に動きだす季節となりました。

 

 

[ 東北|山形|一級建築士事務所|井上貴詞建築設計事務所 ]

光を知る

志鎌康平さんの写真スタジオ「月日坊」が竣工から一年経ち、施工を担当した加藤建築
さんと一緒に一年後検査に行ってきました。

普段の撮影や「カメラ小屋」などのイベントなど、スタジオとしての利用もだいぶ
馴染んできたようですが、スタジオ中央に鎮座するキッチンが想像以上に稼働率が高く
(志鎌さんが料理好きということもありますが)、とても腰が据わってきた感じがします。

一年を通じた太陽の動きと、それに伴うスタジオへの光の射し込み具合も、だんだん
掴めてきたのではないかと思います。そうしたここならではの光を、志鎌さんが
うまく活かしながら、被写体の「今」を写し取る場所として機能しています。

この月日坊で、志鎌さんが講師になって「写真のがっこう」をはじめるようです。
月日坊(@tsuki_hibow) • Instagram写真と動画

光を知り、人を知り、そして自分を知る。
そんな貴重な機会、ご興味ある方はぜひどうぞ。

 

 

[ 東北|山形|一級建築士事務所|井上貴詞建築設計事務所 ]

無駄のある家

東京での展示撤収のため再度上京したので、前から行ってみたいと思っていた「武相荘」
に行ってきました。云わずと知れた白洲次郎・正子旧宅です。

昨年ヒュッテ・ヤレン(旧白洲次郎蔵王別荘)の改修に携わっていたので、本宅は一体
どんなお住まいなのだろうかとアレコレ想像力を働かせていましたが、実際に訪れて、
想像以上に自然で、肩肘張らない(それでいて一つ一つが吟味された)空間でした。

旧宅内はおおよそ当時の形をとどめ、いくばくかの白洲夫妻の資料が展示されている
のですが、その中で白洲正子さんが書いたエッセイ集の一節が壁に掛けられていて、
「無駄のある家」と題されたその文章に、思いがけず心を打ち抜かれてしまいました。

以下、その文章のご紹介です。

”鶴川の家を買ったのは、昭和十五年で、移ったのは戦争がはじまって直ぐのことで
あった。別に疎開の意味はなく、かねてから静かな農村、それも東京からあまり遠く
ない所に住みたいと思っていた。現在は町田市になっているが、当時は鶴川村といい、
この辺に(少なくともその頃は)ざらにあった極くふつうの農家である。手放すくらい
だからひどく荒れており、それから三十年かけて、少しずつ直し、今もまだ直しつづ
けている。


もともと住居はそうしたものなので、これでいい、と満足するときはない。綿密な計画
を立てて、設計してみた所で、住んでみれば何かと不自由なことが出て来る。さりとて
あまり便利に、ぬけ目なく作りすぎても、人間が建築に左右されることになり、生まれ
つきだらしのない私は、そういう窮屈な生活が嫌いなのである。俗にいわれるように、
田の字に作ってある農家は、その点都合がいい。いくらでも自由がきくし、いじくり
廻せる。ひと口にいえば、自然の野山のように、無駄が多いのである。

牛が住んでいた土間を、洋間に直して、居間兼応接間にした。床の間のある座敷が
寝室に、隠居部屋が私の書斎に、蚕室が子供部屋に変った。子供達も大人になり、
それぞれ家庭を持ったので、今では週末に来て、泊る部屋になっている。あくまでも、
それは今この瞬間のことで、明日はまたどうなるかわからない。そういうものが家で
あり、人間であり、人間の生活であるからだが、原始的な農家は、私の気ままな暮らし
を許してくれる。三十年近くの間、よく堪えてくれたと有がたく思っている。”
(白洲正子「思うこと」『縁あって』より)

この言葉に出会っただけでも、武相荘に行った甲斐がありました。
自然の野山のように、人の暮らしを許容する、そんな住まいをつくっていきたいと
あらためて感じました。

 

 

[ 東北|山形|一級建築士事務所|井上貴詞建築設計事務所 ]